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永平寺(えいへいじ)【福井県吉田郡永平寺町】

永平寺は、神奈川県の総持寺とならぶ曹洞宗の総本山です。
永平寺には、檀家がなく曹洞宗の僧侶の出家道場となります。またミシェラン・グリーンガイド・ジャポンにおいて二つ星と評価されています。

開祖は道元で、本尊は阿弥陀如来・弥勒仏・釈迦如来の三世仏(さんぜぶつ・過去 現在 未来を表す仏様)となっています。

永平寺の参拝は、7つの建物が廊下で繋がっており、靴を脱いで拝観することになります。靴は持って歩くことになります。

御朱印もいただくことができます。最初の建物の吉祥閣に入り右側の受付で預けると、拝観中に記入していただけます。

それでは拝観の見所をいくつか紹介します。

【勅使門】
名前の通り天皇の勅使の際にだけ使用される門で、通常は閉ざされています。勅使門へ続く石の階段は苔むし、左右に並ぶ杉並木もとても絵になります。

【傘松閣(さんしょうかく)】
傘松閣の2階には絵天井の間といわれる一室があります。天井一面に花鳥風月を描いた230枚の日本画が埋め込まれています。そのうち5枚だけ鯉 唐獅子 栗鼠(りす)が描かれています。

【仏殿】
仏殿の屋根は、宗時代様式の二重屋根なっています。中には須弥壇(しゅみだん)のなかに本尊の三世仏が祀られています。また欄間には、彫刻で12枚の禅宗の逸話が描かれています。

【法堂】
修行の中心になる建物で、聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)が祀られています。また一番高いところにあるため、見晴らしもよくなっています。

【承陽殿(しょうようでん)】
こちらは道元禅師のお墓である御真廟(ごしんびょう)があります。そのため永平寺の中で一番神聖な場所になります。

永平寺のHPはこちら

【開祖・道元について】

1200年に京都に生まれる。両親が亡くなったあと、14歳で天台宗の総本山である比叡山延暦寺にて仏門に入る。
道元は「天台(宗)の教えでは、人は皆生まれながらにして、本来悟っているはずなのに、なぜ厳しい修行をしなければ悟りが得られないのか」という強い疑問を持った。
その後、17歳で比叡山延暦寺を下り、建仁寺に入り栄西(えいさい)の弟子 明全(みょうぜん)に師事した。23歳のとき、明全とともに南宋に渡る。

阿育王山(あいくおうざん、※阿育王寺のこと)の典座(寺の役職のひとつ)と出会い、「修行とは、人の生活そのものです。また私たちが元々さとりを備えていても、修行をしなければ悟りは現れないのです。つまり修行とさとりは、切り離すことができず同時にしか現れない(修証不二・しゅしょうふに)。」と教えを受けます。

その後、天童山景徳寺の住職 如浄(にょじょう)に師事します。ある日、座禅の修行中に他の僧が居眠りをし、如浄が「坐禅は、心身脱落(しんじんだつらく)でなければならん」という注意をきっかけに得悟(とくご・悟りのこと)し、如浄から如浄禅師の仏法を受け継ぐことを許され、27歳のときに帰国しました。また道元の考えでは、座禅こそ最高の修行と考えられ「只管打坐(しかんたざ)※ただひたすらに坐ること(坐禅)の意味」で現さられます。

33歳の時に京都深草(現在の伏見区)に、興正寺(こうしょうじ)を建立した。しかし、達磨宗から多くの入門者が相次いだことから比叡山から弾圧を受ける。

43歳の時、俗信者(俗人のままの信者)の越前国の地頭 波多野義重の招きで越前に移転。翌年、傘松に大佛寺を開山。翌々年に大佛寺を永平寺と改めた。

永平寺の名前の由来は、初めて中国に仏教が伝来した時の元号「永平(永久の平和の意味)」と言われている。

建長5年(1253年)に54歳で病により死去。

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