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小泉八雲記念館・小泉八雲旧居(こいずみやくもきねんかん・こいずみやくもきゅうきょ)【島根県松江市】

小泉八雲記念館と小泉八雲旧居は、八雲が教師として勤務した松江北高校と松江城の外堀の近くにあります。

両施設とも有料での見学となります。また松江城天守閣や武家屋敷などの共通割引券があります。料金については、小泉八雲記念館ホームページの利用案内をご覧ください。

小泉八雲記念館では、2016年にリニューアルされ、ラフカディオ・ハーンの生涯や著作を学ぶことができます。また愛用品も実際に見ることができましす。

小泉八雲旧居は、妻のセツと実際に生活をした建物がそのまま残っています。ハーンの著書「知られぬ日本の面影」の舞台になったといわれる庭をご覧いただくことができます。 

小泉八雲記念館 公式ホームページはこちら

小泉八雲旧居 公式ホームページはこちら

■小泉八雲について

小泉八雲(本名:パトリック・ラフカディオ・ハーン(Patrick Lafcadio Hearn))は、1850年(明治37年)6月27日にギリシャに生まれる。父は、軍医のイギリス人(現在のアイルランド)のチャールズ・ブッシュ・ハーン、母はギリシャ人のローザ・カシマティ。

2歳の時に、母とアイルランドのダブリンに移り、父方の大叔母である資産家の未亡人サラ・ブレナンに引き取られます。
11歳からフランスの教会学校で学ぶ。
13歳からイギリスのカトリック系全寮制の学校で学ぶ。しかし厳格な宗教教育を嫌い、キリスト教の聖人に由来するファーストネームのパトリックを使わなくなったといわれています。

16歳のとき、友人と遊んでいる時に左目を怪我が原因で失明。
失明した左目が白濁したため、左目が写真に映ることをきらい左目が映らないポーズで写真に写っています。
17歳の時に育て親のサラ・ブレナンが破産したため大学を中退し、19歳で親戚を頼りアメリカに渡る。

20代はアメリカの出版社で働き、30代には本格的に執筆を始める。
24歳の時に当時法律で禁止されていた黒人とマティ・フォリと結婚をするも27歳の時に離婚。

40歳の時にアメリカの出版社通信員として初めて来日し、会社への不満から契約を破棄し、島根県尋常中学校(現・松江北高等学校)と島根県尋常師範学校(現・島根大学)の英語教師の職を得て松江に移り住みます。

翌年には、中学校教頭のすすめで松江の氏族の娘の小泉セツと結婚する。セツとの間には三男一女の子供を授かります。

その後、嘉納治五郎が校長を務める熊本市の第五高等学校、神戸市のジャパンクロニクル社を経て、46歳で帝国大学英文学科(現・東京大学)の講師となります。またこの年に日本国籍を取得し小泉八雲と改名します。

53歳で解雇されるまで帝京大学で勤務します。後任の講師は夏目漱石でした。
翌年54歳で早稲田大学に講師として勤務します。

同年1904年9月26日に狭心症により亡くなりました。享年54歳。

■来日後の書籍と発行年数
知られぬ日本の面影 (Glimpses of Unfamiliar Japan) 1894年
東の国より (Out of the East) 1895年
心 (Kokoro) 1896年 
A Living God 1896年
仏陀の国の落穂 (Gleanings in Buddha-Fields) 1897年
異国風物と回想 (Exotics and Retrospectives) 1898年
霊の日本にて (In Ghostly Japan) 1899年
影 (Shadowings) 1900年
日本雑録 (A Japanese Miscellany) 1901年
骨董 (Kotto) 1902年
怪談 (kwaidan) 1904年
日本―一つの解明 (Japan: An Attempt at Interpretation) 1904年 

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