後楽園は、日本三名園のひとつで備前岡山藩第2代藩主の池田綱政(いけだつなまさ)によって藩庭として造成された日本庭園です。14年の歳月をかけ1700年(元禄13年)に完成しました。
また江戸時代初期の元禄文化を代表する庭園といわれ、国の特別名称にも指定されています。
庭園の面積は、東京ドームの約3倍の133,000平方メートルです。江戸時代までは後園(こうえん)や御後園(ごこうえん)と呼ばれていましたが、明治に入り一般開放をするため「後楽園」と名称を改めました。後楽園の名前の由来は、中国・宋の范仲淹(はんちゅうえん)が著した『岳陽楼記』にある「先憂後楽」といわれています。
明治以降は、版籍奉還によって岡山城を出ることになった池田家当主の居住場所としても使用された。その後、岡山県によって池田家より買い上げられました。
太平洋戦争中には、空襲によって延養亭をはじめとした多くの建物が焼失した。また園内で芋などの栽培もされていました。
戦後は進駐軍の宿舎として使用され、園内に25mプールが作られました。その後、再度岡山県の所有となり、2億円の費用をかけ本来の景観を復元され昭和29年に一般公開されました。昭和42年には、全ての建物の復元が完了しています。
園内は、池と松と芝生を使った庭園以外にも季節の花を楽しめる梅林・桜林・花菖蒲畑などがあります。復元された延養亭や能舞台などの建物も見ることができます。
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