吉備津神社(きびつじんじゃ)【岡山県岡山市】

吉備津神社は、桃太郎のモデルとなった大吉備津彦命をご祭神と祀られています。また室町時代に建てられた本殿と拝殿は、国宝に指定されています。また釜で炊いたお米をいれた蒸籠(せいろ)から鳴る音で吉兆を占う鳴釜神事(なるかましんじ)が有名です。

国宝の本殿と拝殿は、室町時代の明徳元年(1390年)に室町幕府三代将軍の足利義満(あしかがよしみつ)によって建立が開始され、応永32年(1425年)に完成しました。様式は、国内唯一の「比翼入母屋造(ひよくいりもやづくり)」(吉備津造)で、入母屋造の屋根を2つ並べたような形をしています。

主祭神は、第7代天皇孝霊天皇の第三皇子の大吉備津彦命が祀られています。相殿神には、大吉備津彦命の兄弟もしくは子孫の8柱が祀られています。

創建については、社伝によると大吉備津彦命が亡くなったあと、子孫の加夜臣奈留美命(かやなるみのみこと)が社殿を建立し祀られたのが始まりといわれています。

吉備津彦は、第十代天皇の崇神天皇(すじんてんのう)よって四道将軍(しどうしょうぐん)として山陽地方に派遣され吉備国を平定したといわれています。また鬼の城を作り人々を襲っていた温羅(うら)討伐を成し遂げます。その際に稚武彦命(わかたけひこのみこと)・犬飼武命(いぬかいたけるのみこと※犬のモデル)・楽々森彦命(ささもりひこのみこと※猿のモデル)・留玉臣命(とめたまのみこと※キジのモデル)とともに戦ったことが桃太郎のモデルになったといわれています。

また犬飼健命は、第29代総理大臣・犬養毅(いぬかいつよし)の先祖とされ、犬養毅自身が吉備津神社を強く信仰しました。そのため駐車場の犬飼毅立像が建てれています。また吉備津神社の神社標も犬飼毅の揮毫です。

鳴釜神事は、吉備津彦によって殺された温羅が吉備津彦の枕元に立ち、「(温羅の)妻の阿曽姫(あそひめ)に神饌(しんせん・神様の食事)を炊かせれば、温羅自信が使いとなって吉凶と告げよう」と言ったのが始まりといわれています。

吉備津神社の鳴釜神事では、神職が祝詞(のりと)奏上し阿曽女(あそめ)と呼ばれる女性が釜の上に蒸籠を置くと「おどうじ」とよばれる音を上げます。この音で吉兆を占うとされ一般的に大きく長い方が良いとされています。吉兆の判断は、聞いた人が各自で行います。

※このページでは、大吉備津彦命が吉備津彦の親とする説もありますが、大吉備津彦命と吉備津彦については、同一の神として説明をしています。

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