宗谷岬(そうやみさき)【北海道稚内市】
宗谷岬は、北緯45度31分21秒 東経141度56分12秒にあり日本最北端の地です。天候に恵まれればサハリン(樺太)を望むことができます。
夏でも平均気温が20度前後にしかなりません。また通年を通して風が強く風速10メートル以上になることも珍しくありません。そのため帽子などが風で飛ばされないように気をつけてください。
宗谷岬には、「日本最北端の地の碑」や樺太が島であることを確認した「間宮林蔵の立像」などがあります。
日本最北端の地の碑は、北極星と北の「N」をモチーフに取り入れ台座の円形は「平和と協調」を表しているといわれています。
売店の柏屋さんでは最北端到達証明書を買うことができます。また店内には宗谷岬流氷館も本物の流氷を見ることができます。
また国道を挟んで南側には宗谷岬公園があります。公園とその周辺には宗谷岬展望台や宗谷岬灯台、昭和58年に起きた大韓航空機撃墜事件の犠牲者の慰霊と恒久平和を願い建てられた祈りの塔などがあります。
宗谷岬公園の南側には宗谷丘陵が広がり、ブランド牛の宗谷黒牛の放牧も見ることができるかもしれません。
宗谷岬から3キロメートルほど西へ進むと間宮林蔵渡樺(まみやりんぞうとかば)出港の地があります。間宮林蔵が樺太へ出発した地といわれており石碑が建てられています。また碑の横には生きて戻ってこれなかったことを考え郷里から持ってきたとされる墓石も置かれています。
・間宮林蔵について
間宮林蔵は、安永9年(1780年)に常陸国(現在の茨城県つくばみらい市)に農民の子として生まれました。幕府が行なっていた利根川の岡堰の作業を手伝った際に地理や算術の才を認められ幕府の下役人となります。
その後、伊能忠敬に測量技術を学び、1803年には北海道の日本海側からオホーツク海までの地図を作成しました。
1808年には幕府の命をうけた松田伝十郎に従い樺太に入りました。伝十郎が西海岸、林蔵が東海岸と別れて進みましたが自然の厳しさに樺太全体を探検することを断念し翌年7月に宗谷へと戻りました。
幕府への報告が済んだ林蔵は、宗谷に帰着した翌月に幕府から再度樺太への探索の許しを受け単身で樺太へと渡り、樺太が島であることを確認しました。この功績が認められ間宮海峡名づけられ、世界地図で唯一日本人の名前が付けられた地名となっています。
1844年に亡くなり、東京都江東区にある日蓮宗の立正院(りっしょういん)に墓所があります。また郷里のつくばみらい市の専称寺(せんしょうじ)にある墓石は、蝦夷への出発前に建てられたものといわれています。1904年には、正五位(しょうごい)が贈られています。
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